ここでは、天光美教会の主祭神の由緒、各祭神の説明、神仏に関する考え方などについて説明しています。
主祭神の由緒Yurai
当教会で祭神としてお祀りしている神様、仏様を総称して、「天光美大権現(あまこうみだいごんげん)」とお呼びしています。
その中心は、「天光美命(あまこうみのみこと)」という神様です。
天光美命は、宇宙・自然の法則・真理を指す神で、神仏一致和合して世界を救う為、昭和45年5月1日、丹後国天橋立に天下り、その後、昭和59年出羽国米沢の地に遷り、他の神仏と合祀し、天光美大権現として鎮座しました。
さらに平成8年には「弁財天」を合祀し、現在に至っています。
祭神について Saizin
天光美命あまこうみのみこと
みなさんは、宇宙の涯に何があるかを考えられたことはありませんか?
わたしたちの住む宇宙には、大宇宙(銀河系宇宙)としての真理があります。それならば 、その外にも大生命があり、真理があってもおかしくないでしょう。
当教会では、その大生命・真理を「天光美命(あまこうみのみこと)」と呼んでいます。
天光美命(あまこうみのみこと)は、神仏一致和合して世界を救う為に、昭和45年5月1日、丹後国(たんごのくに)天橋立(あまのはしだて)に天下り、その後昭和59年に出羽国(いではのくに)米沢の地に遷り、他の神仏と合祀して鎮座。現在に至っています。
妙神みょうしん
真理があるならば、それを現実にあらわす妙なる力があるはずです。
その生み出す力を、神としてとらえております。
泰山府君たいざんふくん
「泰山」は、中国山東省にある山の名で「府君」は、神のことをいいます。
宇宙にあっては北極星、地上にありましては、泰山府君といいます。
寿福の神として信仰され、祈れば人の命を長くしてくれるといわれています。
釈迦仏しゃかぶつ
わたしたちの心の中には「清らかな仏様になる種」が隠れています。
自らが行をされ、仏になられたお釈迦様は、あなた方も仏になれるのだよ、と今も導いてくださっています。
弁財天べんざいてん
日本三大弁財天で知られている、竹生島(ちくぶじま)弁財天をお祀りしています。
経済・学問の神として知られ、親しまれています。
鎮宅霊府君ちんたくれいふしん
宇宙にあっては北斗七星、地上にありましては鎮宅霊符神と云います。
左右には包掛童子、持掛童子がおられます。
宅地相の守護神であると共に、運命を良い方に変えてくれる神として信仰されています。
不動明王ふどうみょうおう
わたしたちはややもすれば、愛欲の炎に焼かれ、 愚痴の怒りに苦しんでしまいます。
不動の聖なる炎はこれらを浄化し、わたしたちのあるべき姿を示してくださいます。
弘法大師こうぼうだいし
宇宙の中心にあって光明に輝く生命は、たとえば海や山、植物や人間など種々なものになって現れています。
「この命を十分に生かすような一生を送りなさいよ」と教えてくださっています
特色と考え方Features and ideas
◆私共では神と仏は一体で、切り離すことが出来ないものであると考えています。
このようなことを云いますと、今までの日本の歴史を振り返ってもそうであったのでは? と考えられるかもしれませんが、今までは「神が主で仏は従」か「仏が主で神は従」という関係で成り立っていましたので、私共のような考え方はなかったのです。
◆また、「神」という言葉自体もあいまいなものです。
私達が普通考える「神」は、たいてい宇宙を創り、自然を創り、私達を創った存在としてとらえて居るのではないでしょうか?
こうした考え方は、わが国にとってキリスト教の影響が大であろうと思います。
これに対して神社神道での神のとらえ方は、創造する存在としてでは無く、創造された世界に生まれ出たものとしてとらえております。
◆例えば、私達がこの世に生まれて来る時、この世は存在していますね。
そして、そうした中に生まれて来ます。このように、創造された世界に生まれた存在を神ととらえています。
このことは、仏教においても同様にとらえていると言ってさしつかえないでしょう。
◆それでは、神と仏はどのように違うのでしょうか?
神はあらゆるものを生み出し、育てる働き(産霊)をあらわしたものです。
これに対して仏はこの世の在りようは、いかにあるべきか? を問うたものでありましょう。
生々化育の働き、それはそれで貴重なものですが、ともすると悪い方に働いてしまいますし、この世の在り様は、自発的な創造性に欠けるきらいがあります。各々では、片手落ちと云わざるをえません。
そのような意味で神仏は、一体であるべきだと主張している訳です。
行と日常の生活の仕方How to live
行とは行くと書きますが、何処にいくのでしょう?
仏教では、仏に成りに行くことです。
神道では、神人一致の境地に達することでしょう。
私共では、その2つの境涯を得ることを言います。
その為には、どうするのか?
(1)教本を言あげし、日々神向きに生活すること。
(2)神示を受け、より神に叶う生活を為すこと。
(3)適宜に神意を聞き、自分の向上をはかること。
(4)時に応じて、行を積むこと。